今日ふと通りがかったたら立て札が目に入って来た!銀杏の葉が先手を打っていたしかも良い所にw。
以下は立て札の記載です。
この寺町通の名は,天正十七年(1589)頃 豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
寂光寺もそのひとつで,別名を久遠院ともいい, 通りを挟んだ西側の町名「久遠院前町」にその名残が見られる。
寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(にっかい)(1559~1623)は, 信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く,江戸幕府が開かれると, 徳川家康の命によって寺を弟子に譲り,本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所(ごどころ)を任された。
算砂は江戸に屋敷を拝領した後も,寺町の本因坊を本拠として, 春に江戸へ下り,年末に京に戻る暮らしをしていた。
以降,本因坊の名は世襲で受け継がれたが, 二十一世の秀哉(しゅうかい)は,真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡し, 昭和十一年(1936),今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。
宝永の大火(1708)で罹災した寂光寺は現在,仁王門通東山西入るに位置し, 算砂愛用の盤石や算砂直筆の囲碁狂歌などの貴重な史料を蔵している。
0 件のコメント:
コメントを投稿